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iCARE公式ブログ

世界一のヘルスケアカンパニーを目ざす株式会社iCAREの公式ブログです。

あなたが同姓同名の人間に出会うと、こうなる。

iCARE公式ブログをご覧のみなさん、おはこんばんちは。

中野雄介です。

 

 

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※この写真は私、中野雄介が描いたものです。本ブログとはなんの関係もありません。

 

 

 

 

 

先日、私は同姓同名の人物と盃を交わしました。一文字違わず、自分と同じ名前を持った人間。顔は覚えているけど名前を忘れた、そんなことは決して起き得ない相手。師がわすわすし始める日に起こった、今年イチの「神ってる」珍事件です。

 

 

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ここに至った私の一連の出来事を以ってして、みなさんが今後もし同姓同名に巡り会ってしまった際に訪れるであろう感情と行動を、今回は予言してみせることとします。

 

 

 

 

 

 

 

◯突然の出会い

 

今回、中野雄介と中野雄介は、ビジネスの場面で巡り会うこととなった。初めてコミュニケーションを交わしたのは、突然私のもとに舞い込んだ1通のメールだった。

 

 

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わかるだろうか、この痛快な奇天烈さが。

伝わるだろうか、私の頭にとめどなく浮かんでくる「?」が。

いや、あなたは否が応でも感じるに違いない。同性同名に出会った際に訪れる、素敵なゲシュタルト崩壊を。

 

 

このメールを見たとき、私はおそらく10秒ほど起動停止していたと思う。その様子たるや、フリーザの圧倒的な強さを目の前にしたベジータのごとしだった。

 

 

たとえば、同じ時期にまったく同姓同名の子どもが学校にいたとしたら、きっと「1号2号」呼ばわりでもされていたはずだ。その点、ロンドンブーツ12号は姓が同じでも名が違うために、我々中野雄介12号から言わせてもらうと、ロンブーに「1号2号」を使う資格はない。本物の「1号2号」継承者は我々のような関係なのである。

 

 

あるいは、中野雄介1号がドドリア、中野雄介2号がザーボンのように、まったく新しい命名をされるかもしれない。

 

 

 

 

◯その後、名前の意義を見失う

 

そもそも「名前」とはなんなのだろうか。自分が自分たらしめる「名前」というものは、一体どんな意味を持つのだろうか。ベジータと化したあなたは、日常生活では調べることのない文字群の検索を始める。

 

 

dic.pixiv.net

 

 

Wikipedia教授いわく、「人名(じんめい)は、特定の人間社会において特定の個人を弁別するために使用される言語的表現又は記号の一つ」とのこと。つまり、「名前」は人間を区別するための記号であり、「同姓同名」とはその記号が完全一致していて区別がつかない一対の人間を意味することとなる。

 

 

「そうか、セルジュニアか。ベジータではなく、私はセルジュニアなのか。」と、あなたは自暴自棄に追い込まれるはずである。

 

 

名前と言えば、『君の名は。』が今年は大ヒットしたが、その主人公が我々だとしたら、「名前が思い出せない」ではなく「名前が忘れられない」という、ストーリーの根底を覆す事態が発生する。

 

 

「ずっと、何かを、誰かを、探しているような気がする」と言われてみれば、確かにそう感じていたかもしれなかった。とはいえ中野雄介と命名されたその日から、探している相手の名前だけは知っていて、「誰だ!誰だ!誰だ!………名前はっ!」という名言が飛び出すわけでもない。飛び出すのはせいぜい「キーッ」という鳴き声くらいだ。

 

 

そして奇しくも、中野雄介は中野雄介よりも3年早く生まれている。稀有なことに、『君の名は。』の中で大切なスパンとなる3年の歳月が、ここにも存在していたのだ。

 

 

おっと失礼、私が3つ下の中野雄介の方だ。やれやれ、名前以外の情報を添えないと区別ができない哀れなセルジュニアよ。

 

 

 

 

◯同姓同名の事例を探し始める

 

セルジュニアのあなたが次に起こす行動、それは「他の事例を探す」だ。こんな奇跡がこの地球上で他にも起きているのだろうかと、あなたは手当たり次第に芸能人の同姓同名を探し始めることになるだろう。

 

 

EXILEHIROSPEEDhiro、メンタリストのDaiGoとウィッシュのDAIGO、大文字小文字を駆使して受け手を翻弄させる芸当に、あなたは目もくれない。

 

 

そのうちに、同じ奇跡を見つけることになる。私が見つけたのは、アーチェリーの山本博とロバートの山本博。この刹那に湧き上がってくる感想は、「ふぅーん」の一言しかないということを思い知る。あなたがいざ第三者視点に立ったとき、同姓同名というのは意外にもどうってことなく映るのだ。

 

 

ここで、セルジュニアの呪縛から脱皮をするあなたがいる。脱皮し終えた状態を例えるとするなら、そうだな、ナッパあたりが適役だ。

 

 

ちなみに同姓同名ではないが、同姓同名に近しいインパクトにおいて、負けを認めざるを得ない例外もあった。阿藤快加藤あいだ。「あとうかい」と「かとうあい」、なんたるビッグバンアタックだろうか。

 

 

そして全てのインパクトに勝るのが、ビルゲイツ

あろうことか、ビルゲイツの父ゲイツの名はビルゲイツであり、その父ゲイツの父ゲイツつまり今ゲイツの祖父ゲイツの名もビルゲイツファイナルフラッシュとしか言いようがない。

 

 

 

 

◯間違いなく会ってみたくなり、誘ったら100%会える

 

晴れてナッパとなったあなたは、間違いなく同姓同名の相手に会ってみたくなる。石原さとみ里見浩太朗ぐらいのニアピン感でも、その想いに駆られるかもしれない。また、出会ってから初めて同姓同名だと分かったときでさえも、二度目の面会が恋しくなるだろう。

 

 

そしてその時する面会のお誘いは、確実にOKの返事が返ってくるはずだ。仮に同姓同名かつ男女という、スーパーウルトラアルティメットレアケースである場合、一周回ってナッパとなることができた自分に感謝することだろう。

 

 

 

 

◯会った時に起こること

 

かくして私は、対面の瞬間を迎える。「見つめあうと素直におしゃべりできない」と歌った、サザンオールスターズのTSINAMI現象がこれから押し寄せようとしているのか。それとも私の心の岸辺に届くのは、「さざ波」程度の衝撃なのだろうか。いや、ここでは「サザNAMI」とでも表現した方が、、、

雑念ばかりが沸き起こり、そこはかとなく気もそぞろだ。

 

 

ここからは実際に会ってから、話した内容を綴っていこうと思う。中野雄介だけだとセルジュニアふたたびとなってしまうので、ここは敢えて相手方の中野雄介を1号、私、中野雄介を2号と呼ぶことにしよう。

 

 

 

 

起こること①:身分を照明し合い、事実を受け入れる

ビジネス上の関係ということもあって、我々はまず名刺交換をした。そして改めて驚く。本当に自分と同じ名前の人間がいたということに。

 

実は違う名前なんじゃないか、中野雄介と名乗ってみたい物好きのいたずらなんじゃないか、という考えは杞憂に終わる。

 

 

 

起こること②:過去にあったエピソードで共感しあう

我々中野雄介1号2号が、共に経験したエピソード。それは、歴史の授業で「中大兄皇子」が登場すると、クラスから過剰に反応されるという経験だ。別になりたいと願ったわけでもないのに無条件で皇子に即位してしまう、中野姓ならではの性とも言える出来事だ。

 

中野雄介1号は中学の頃にその経験をし、そのまま中学では「皇子」と呼ばれていたらしい。私、中野雄介2号も、小学校の頃にけしかけられた記憶が微かにある。

 

 

 

起こること③:名前以外の個人情報を惜しげもなく披露しあう

もはや中野雄介1号2号の間に、個人情報保護という心的規制など無かった。家系や一族の名前、生まれや育ちなどを、我々は制限なく話し倒した。

 

父親の名前は?」「母親の名前は?」「兄弟は?」「兄弟の名前は?」

他の共通点があるんじゃないかと、胸を踊らせながら自分の家系を話す経験は実に新鮮なものである。

 

 

 

起こること④:名前の書き方で議論が巻き起こる

お互い20年以上「中野雄介」の名で生きて、「中野雄介」を幾度となく名前欄に書き込んできた我々は、「中野雄介」を書くプロと言っても過言ではないわけだ。そんな同姓同名の書道家たちによる、「中野雄介」書き方談義が勃発する。

 

「中」は抑えめに。「野」の左側の「里」はやや小さく、右側の「予」の下棒を長くして跳ねは激しく。「雄」は控えめに。ここまでは同じだったが、意見が割れたのは「介」だった。中野雄介1号は最後の棒を真下に下ろすらしいが、中野雄介2号は内側よりにはらうように下ろす、とのこと。まったくどうでもいい話である。

 

 

 

起こること⑤:他の同姓同名を探したくなる

あろうことか、中野雄介1号はこの会の前にFacebookで「中野雄介」を検索して、何件かお誘いのメッセージを送っていた。友達でも何でもないにも関わらずだ。さすがIT系のスタートアップに勤めているだけあって、行動力が常軌を逸している。

 

程なくして、我々は「なかのゆうすけ」会を創設しようと合意をした。同姓同名に限らず、赤ちゃんの「なかのゆうすけ」から、ご年配の「なかのゆうすけ」まで、「なかのゆうすけ」という呼び名であれば老若男女誰でも入会可能だ。失礼、老若男は当てはまるが、女は当てはまらない。

 

その会の様子は随時報告していこうと思う。中野雄介1号2号だけなら、お互い「中野さん」で済むが、3号目が現れてからが正念場となるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

お楽しみ頂けたでしょうか?

みなさんが同姓同名に出会ったとき、このブログが参考になれば、同姓同名の先人冥利に尽きます。

 

 

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この写真は私、中野雄介が描いたものです。本ブログとはなんの関係もありません。

繰り返します。私、中野雄介が描いたものです。

 

 

 

 

 

それでは、良いお年を!